爆発で死にたい

休み休み書いたり書かなかったり

訃報

タイトルのとおりね、けいほう。ではなくてふほう。つい先日までけいほうって読んでた私ヤバくない?照

 

  はい。おじいちゃんが亡くなってしまいました。94歳でした。2月3日から4日になる十数分の間だったみたいです。命日は4日。

  家のすぐ近くにおばあちゃんと住んでいたけど、最期の1、2年は老人介護施設に入っていたり、たまに体調を崩して入院したりしていて。施設に入ることになったきっかけは、足腰が弱って一人では立てなくなってしまったから。おばあちゃんの力ではどうにもならなかったのね、一時は実家で寝たきり生活になるかもしれなかったのを、それではどんどん衰えてしまうからと施設に入ってもらうことになった。そこから車椅子生活になり、おばあちゃんとも会う機会はかなり減っていった。施設までは私だったら歩いて15分くらいで着くけど、おばあちゃんも今年で90歳だから体力的にそんなに度々会いには行けなかったみたいで、先月の1/2に一家大集合したとき、久しぶりに会えたおじいちゃんを見て「ああ、」って安心したようにしばらく抱きしめてたのを見たときは涙を堪えるのがちょっと大変だった。

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↑この、1/2にうちに来たときは、相変わらず車椅子を人に押してもらう生活で、トイレも男手に手伝ってもらわないとできないくらいだったけど、好物のうな重を前にしたら「うなぎじゃないか!」ってテンション爆アゲでぺろりと一人分平らげてたから、元気そうだな と安心してしまった。

  それからすぐに風邪を引いたらしく近くの病院に入院してしまって、そこからは自分がどこにいるのかも分からないような朧げな意識状態だったらしい。本当に、どうしてこの時お見舞いに行っておかなかったんだろうとこうして書きながらも心の底から後悔してる。日に日にこちらの話が通じなくなっていくおじいちゃんの元に毎日足繁く通っていたパパは、どんな気持ちだったんだろう。

2/2 おじいちゃんが旅立ってしまう日の前日、私は翌日から一泊で友人と行くスノボ旅行の準備をしていた。ママに「スノボもいいけど、おじいちゃん いつどうなるか分からない状況だからね」と神妙に言われたのに面食らって、え?そこまでなの?と思ったら不安になってきて、その晩はもしものことを考えてしくしく泣いてしまった。でもまさか本当に、翌日に亡くなってしまうなんて思ってなかった。来週の休みはおじいちゃんの顔見に行こう なんて考えてたのに、おじいちゃんが息を引き取ってすぐのとき、私は長野県なんかにいた。

  おじいちゃんが死んでしまった土曜日の夜から、もうすぐ1週間が経つ。直接顔を見られなかったからなのか、昼間は実感がわかないときもあって普段通りの生活をしているし、会社の人と忌引きについて話すのだって他人事のようにできた。だけど、夜のひとりの帰り道やお風呂や寝る前に考えるのは「もうおじいちゃんはいないんだ」ということと、おじいちゃんが元気でにこにこ私と話してくれた時のことばかりで、涙が止まらない。

明後日というかもう明日か、明日の土曜日おじいちゃんの顔を見に行く。お通夜は来週水曜だけど、普通はもっと早いらしい。たしかにこんなに安置しておけるの?とちょっと心配だけど、これだけ寒ければ大丈夫なのかな。あんまり長いこと寒いのも可哀想だな。

もう動くことのないおじいちゃんの顔を見るのは、正直とても怖い。でも、見ないままいなくなってしまうのはもっと怖いし、お通夜で初めて見ることになるのも、自分がどんな風になってしまうのか分からなくて怖い。だから見に行きます。

 私の結婚相手のことをよく気にしていたことを両親から聞いて、花嫁姿を見せてあげられなかったな、とか お正月に会った時もっと話しておけばよかったな、とか ああしていれば こうしていれば と思ってしまうのね。もうしようがないのに。

  おじいちゃんでもこんなに辛いのに、実の父親や大好きな夫だったらもう耐えられない。パパやおばあちゃんの気持ちが心配だ。大丈夫?なんて聞くのは違う気がするけど、せめて気がまぎれるように会いに行ったり、ああしていれば と思わないように、(たぶんどうやっても思ってしまうんだろうけど)もっともっと大切にしなくては、と思っています。