爆発で死にたい

休み休み書いたり書かなかったり

告別式

お別れを告げる式

初めてのお通夜と告別式で、受付を任されたり(といっても訪問客も親族数名で何も緊張することはなかったんだけど)お葬式のマナーやお焼香のやり方、火葬後の流れやら全部いまやネットに書いてあって、ありがたいなぁと思いながら熟読した。この日のために短期で黒染めできるカラートリートメントを買ったり、黒いストールや白いハンカチや薄墨のペンを買ったり。親族のお葬式だしそんなに気にしなくていいのよ、と母親に言われたけど、人目を気にしたのではなくて そんなことより純粋に、真っ当におじいちゃんを見送りたかったので、私は満足です。

お通夜のときもふと考えると寂しくて、それでも身体はお棺の中にあったから、どこかまだ近くにいる気がしていて。献花のとき、お花でおじいちゃんの身体が埋まっていくのを見ながら、ちょっとだけ顔を触ったらすごく冷たくて、ああ本当にもう、触ることもできなくなってしまうんだ、本当に最後なんだ、とこみ上げてきてぼろぼろ泣いてしまった。兄もみんな泣いてた。

焼かれて残った骨はとても軽かったけど、大きくて丈夫そうなものばかりで、葬儀屋の人は長生きできる人はそれだけ骨が強いのだと言ってた。

斎場からおばあちゃんの家に帰り、祭壇にお骨と遺影を置いて、ようやくおじいちゃんは自分の家に帰ってくることができた。おばあちゃんはしばらくここに座っていたいと祭壇の前に座り込んでいた。どれくらいの間そうしていたのかは、その後すぐ帰ってしまった私たちにはわからない。

 

家に帰ってきたら、髪の毛に斎場のお香のにおいがついているのに気づいた。いいにおいだけど、おじいちゃんはもういないんだ、どこに行っても声も形もないんだ、と思い出して猛烈に寂しくなっては泣いて、少し落ち着いてを繰り返している。

大切な人が死んでしまうということは、途方もなく寂しいことだ

その寂しさに寄り添っていればやがてそれが自分の日常になるんだろうけど まだまだ時間がかかりそうだと、書きながら思っています。